ダバオ市内 国内初の路面電車都市へ向けて
人口と訪問客の増加によって渋滞問題が深刻化しているフィリピン・ダバオ市。このような問題に対処しようと、市政府はその解決案や提案の受け入れを行ってきています。そんな最中、8月28日、マニラに拠点を置く鉄道会社Philtram Transportation Consortium、Inc.より、都市の交通渋滞の解決に繋がる高速路面電車システムの設立が提案されました。
「Davao Rapid Tram」(DRT)は一度に300名もの乗客を収容することができ、その輸送力に期待がかかります。DRTはスマートテクノロジーで誘導されるほか、周辺の車両との衝突を避けるセンサーも内臓しています。さらにDRTは障害者や妊婦、高齢者、ならびに子供たちにフレンドリーな設計となっているとのことです。
気になる運賃については、提案価格は10ペソ、ループの場合は15ペソになる見通し。同提案が市政府により承認された場合、ダバオ市は国内初の路面電車システムを持つ都市になります。
フィリピンの路面電車の歴史
とは言えども、実はマニラ市内において1905年には路面電車が走っていたという記録が残されています。当時はアメリカの植民地時代で、マニラ電鉄電灯会社、現メラルコの全身が指揮を取り路面電車を展開させていました。
それらが廃止になったのは第二次世界大戦。マニラの戦いにおいて施設は大きな打撃を受け、それ以来路面電車が再建・提案されることは本日までありませんでした。1960年代に問題となった市内交通の混雑により公共機関の導入が再度検討され、1960年代の後半にはモノレール建設計画が発案。同時に、1970年代初頭には通勤鉄道や高速道路の導入提案がなされました。
そして1970年代後半には、現在も親しまれるマニラ・ライトレールの構想が発案。路面電車の北方の基点としてトンドがあり、レクト通りを何頭に向けてメンジョーラ橋前まで走っていました。マニラ日本人青年団主催のピクニックなどでは女性や子ども達もお寿司やおにぎりを持って集まり、列車を借り切って出かけていたのだとか。
ですが、1989年。駅の機能は完全に停止され、多くの人々や物流の拠点となった100年の歴史に幕を閉じました。それから30年経過した現在、また新たなインフラ解消の手段として日の目を当てられたフィリピンの路面電車。かつての人々の記憶を乗せ、再びその道に歴史が刻まれる日も近いかもしれませんね。